補償行為をすればするほど幸せを感じない
早坂亜希子です。
前回は、補償行為は劣等感からくるとお話しました。
ほかにも、補償行為をしているとこのような現象になります。
・ダイエットに成功して綺麗になっても、自分に自信がない。
・仕事で頑張っているのに手に入れるものが少ない。
自分の容姿にコンプレックスがあるからといって、「こんな自分が愛されるわけがない」と思っている限り、パートナーの愛情や優しさも全力で受け取ることが出来ずにいてしまいます。
前回の記事はこちら↓↓↓
acco-chan-president.hatenablog.jp
「わたしはこういう人」は過去の体験からつくられる
補償行為の根本は過去の体験からつくられた「観念」です。
わたしは小学生のころ、モテモテでした。
毎年転入してくる男子から告白され、小学校3年生のときに「つきあってください」と言われ、「いいな」とおもう男子と両想いになることは当たり前(だったような気がします)。
しかし、女性からの嫉妬や冷やかしなども増えていき、人気者になればなるほど、誰かからの嫉妬が増える現実に、単純に喜べなくなっている自分もいました。
さらに、高校は男バスと仲良くなることで、女バスにいじめられた経験を通じて、ひとつの観念が確立しました。
男性にモテると女性に嫌われる。嫌われると面倒くさい。。。
「異性にモテると嫌われる」という観念が過小評価する原因に
「異性にモテると同性に嫌われる」という観念は、「異性にモテるよりも同性と共感して仲良くしたほうがいい」という考えになり、自分を卑下したり謙遜するようになりました。
「モテない」「男運がない」「秀でた才能がない」
自分が生きていくための防衛本能でしょうか。
普通より以下を自分で設定し、相手より優位に立たないでいる方が嫌われることもなく平和で楽だったのです。
小さいころからの経験が、自分を過小評価している今に繋がります。
小さい時は、それが最善の答えだったかもしれない「わたしはこういう人」。
昔の経験やショックなことを体験して確立していった「わたしはこういう人」。
「わたしは男運が悪い」ほうが、友達よりも優位にならなくて済むかもしれません。
「わたしはモテない」ほうが、好きな人に振られて傷つかなくて済むかもしれません。
しかし、過去に役に立ったかもしれないその観念は、自分の思い込みになり、「モテないわたし」が現実になるとししたら勿体ないですね。
次回は、具体的に観念を手放すために実践していることをお伝えします。
いつもありがとうございます。